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十三どんなもんやねん!~へたれを探険~ その3

翌朝、遅くまで飲んでいたにもかかわらず、また土砂降りにもかかわらず吉永さんに十三を案内してもらいました。


現在の十三は当然ながら、吉永さんがいた当時とはお店などは大きく変わっているとのことでした。
たむろして、ぱくりまくっていたコンビニや、やくざにならんかと勧誘されたスナックなど今は変貌していました。

続いて淀川とその横にある通称、地獄谷へ(淀川話P98に登場)
当時、土手入り口は草が多い茂っていたそうですが、河川敷全体が昔と比べてきれいに整備されていました。「へたれ」では、

バイクを乗っていた場所。10円おじさんと走った場所。花火打ち合いをした場所。

現在も十三の花火大会が開かれる場所だそうですが、昔は人なんてあまりいなく近所の方がぽつぽつ訪れていたそうです。
現在は、溢れんばかりの人で警察などもすごくでてくる大きなイベントになっているとのこと。


地獄谷はとにかく狭い道に民家が混在しており、昔ながらの作りの住宅がまだまだ存在していました。
へたれで吉永さんがよくモーニングをもらいにいっていた「リバー」跡地、働いていた「恭楽」「恭楽パート2」の跡地。カンさんがすんでいた家、足の臭い林さん宅、駄菓子屋などを訪ねました。


その後車に乗って吉永さんのおじさんの家へ。
吉永さんのお母さんの弟さんにあたる方で、いわゆる文化住宅に住まれていました。
2階建てのアパートの様な1室に一人暮らし。
全部で20室程のそのアパートは、現在取り壊し計画が出ており、立ち退きが進められている為、まだ住んでいるのはおじさんも含めて2室のみでした。
おじさんは耐震改修を行わずに立て壊してしまう文化住宅が多いというお話をされていました。


続いて吉永さんの実家へ。まず最初に、布団のカバーがヒョウ柄でありました。
そして壁に目をやると、美少年を発見!


まさかの……、そうなんです!子ども(小学1年生)の頃の肖像画でした。

吉永さんのお母さんは、優しい表情がとにかく印象的でありました。


お話するのが好きなようで、本当にずっと話してくださいました。
お母さん1人を残して出かける際に「部屋のドアを閉めて」と言われました。
僕が最後だったのであいさつをして、ドアを閉めました。
お母さんは、ドアを閉めた後、1人になっても喋っていました…。
再び開けて話すべきか迷ったけど、そのまま家を後にしました。
すみませんでした…。
お母さんの話し方は柔らかく、笑顔もすてきでした。
そしてなんと、お母さんが「あんたたち美味しいもんでも食べといで」とお小遣いをくださいました。

しばらくいさせて頂いた吉永さんのご実家は、縦長で確かにせまい。
自分の生まれと重ねると、まったく重ならないこの生活に考えさせられるものがありました。
昨日のバラキさんの言葉が頭をよぎっていました…。

ご実家を後にして更に商店街などを案内していただきました。

吉永さんが昔バイトをしていた公設市場の八百屋さん(へたれP129に登場)


こちらも昔バイトをしていたピンサロ街(へたれP529に登場)


そして十三の美味しい焼き肉屋の請来軒へ。吉永さんに教えてもらい連れていって頂いた有名店。
メニューにない「上肉」を食したのですが、とにかくおいしかったです。
僕は人生で今まで2、3回、おいしい物を食べて罪悪感を感じたことがあり、今回もこのお店で感じました。
こんなにうまい物を、いまの僕が食べていていいのだろうか?
食べてしまい申し訳ございません。という思いが出てくるのでありました。
本当においしかったです。
料金的にも高い高い、大人になった今の僕でも食べると罪の意識を感じるお肉を、吉永さんは高校生の頃から食していたそう…。
十三という場所もそうだが、田舎の出の僕には吉永さんが「都会っ子」であるのは間違いないと思いました。

上肉を食べた後、ふつうのバラ肉(カルビ)とハラミを頼んだのですが、久しぶりの吉永さんの訪問ということでサービスにより見事な上肉に変えて出してくれていました。

肉は全て「上」を頂きました。
僕も胃袋も上機嫌になりました。
本当にありがとうございました。

そしてお母さん!無茶無茶うまかったです。本当にどうもごちそうさまでした。

請来軒のご主人



更新日:2011年12月22日