home > 特集

会田誠「馬鹿でいいのだ」(前編)


昨年、森美術館で開催された個展「会田誠展:天才でごめんなさい」では一部の展示内容に市民団体から抗議を受けるも挑発的に現代社会をシニカルな独自の世界観で表現しつづけ、今月にはミヅマアートギャラリーで新作の個展が始まる。その作り続ける不撓不屈のエネルギーはどこから湧いてくるのだろうか。
(企画・文・表題写真:加藤有紀 / インタビュー写真:竹花聖美)


屈折した場違い感をわざとつくる

― 森美術館での展示の時は、お疲れ様でした。この会田誠展:天才でごめんなさい では、市民団体やネット上でバッシングを受けていましたが、そのことに対して会田さんからは、負けずというか、不屈の精神を感じていました。今までもそのような事があったのでしょうか?

会田:今まで、ミヅマアートギャラリーを中心に展示をしている限りは、広く一般の人の目に触れないので、クレームはほぼありませんでした。性的な事であれ、むしろ政治的な事とかもこなくて。ああいう都心のど真ん中にある目立つ美術館だったからでしょうね。僕も今回のような事は、慣れていた訳ではないです。
だいたい大きく分けてポルノ表現系のこととツイッターを勝手に使ったというのと、ふたつクレームがあって、このふたつは似て非なるというか、内容のベクトルが違ったと思うんです。どちらかというと、ツイッターを勝手に使ったというクレームに対しては、こちらも喧嘩腰でしたけれど、ポルノ表現へのクレームに対しては、性の事は微妙なことですし、敢えて言うなら「取り組むには面倒くさい題材」と自覚しながら慎重に作っているので、誤解があるところは解きたいと思いました。

― あれだけ大きな騒ぎの中でも進行中の作品の制作を着々とされていましたが、そのテンションを保つ心の強さはどこからきていたのですか?

会田:うーん、心が強いという自覚はないですけれど…。
今回ポルノ的な事で一番抗議を受けたものが「犬」というシリーズで、僕が22歳の大学院生の頃に日本画風の落ち着いたタッチで絵を描こうとした、今の作風になる最初のきっかけになった作品でした。僕が多少傷ついたとすれば、クレームであれ、結局22歳頃の作品が一番話題になるというのが、なにか悲しいというか。やっぱり若い頃の方が元気が良かったのかなーと。

― 新作も話題にはなりませんでしたか?

会田:新作と言えば、女の子が横一列に並んでいて、撃たれて苺とかが飛び散っている絵ですね。あの絵を描いた理由はいくつかありまして、理由のひとつに、老若男女が入れる普通の会場で見せられて、且つ僕が描きたいような絵にもする、という妥協点を探る、というものがありました。キャリアが長いと、美術館だったら何処までが出せて何処までがアウトという線引きが分かっていて…。あれにはクレームは来ないですしね。それに、18禁のところに飾られた作品というのは、基本的に美術館では普通に飾ってはいけないタイプで、世界的にもなんとなく決められたルールがあるんです。簡単に言うとレイプが駄目なんですよ。

― ビジュアルのインパクトが強過ぎる作品は、往々にして自分の意図と世間の反応にズレが生じてくると思いますが、どのように受け止めていますか?

会田:ポルノ的な作品でも政治的な作品でも、だいたい、すごく拒絶する人と、「ヤッホー(^o^)/!」と言う感じですごく受け入れる人がいて、相反する意見が同時に聞こえてきます。僕としては、例えばレイプ的なイメージの強い作品を作った時に、「ヤッホー(^o^)/!」という反応を引き出したくて作っている訳ではないんです。僕のやっている事はポルノ漫画家と違って芸術というジャンルなんですね。それが偉くて上品だという意味でもなく、望まれてもないのに敢えてポルノ的な表現を持ってきて屈折した場違い感を作る事で、なんらかの表現をしたいんです。とはいえ、両方の反応があろうことは始めから予想がついていますし、その両方の反応の中間、良いとも悪いとも言い難い「なんとも言葉を発しにくい」というような位置に居る人達にむかって作っているので、そこにクレームがきても落ち着いて対応できるつもりでいます。

― モノを作る行為は自慰行為のようなものだと思うのですが、お話を聞いていると会田さんは見る側のことを想定して作られているのかなと思いました。

会田:うん…、僕は自分が少ないと思いますよ。セックスなら和姦で愛し合って仲良くするのが良いと思っていますが、それを作品にしたいとはあまり思わないんですよね。作品と自分の好みや思想が別なのは、告白的な青い事をやって上手く表現できなかったり、赤っ恥描いたり、そういうイタい経験をしたからということもあるでしょうね。


万年スランプのようなもの

―  イタい経験をしても、モノを作り続けていくのは作家の性なのでしょうか?

会田:何故作るのかというと…、制作よりも誘惑の多いライバルは酒を飲むことぐらいなので、酒を24時間365日飲み続ける事も現実的にできませんし、他にやる事が無いのでシラフの時はやはり作りますね。

―  作品が作れなくて、気持ちが行き詰まってしまったことはないのですか?

会田:そうですね…、ずーっと万年スランプのような気もするんですけどね。

―  作品を同時並行で作られたりもしていますよね?

会田:そういう事もありますね。展覧会が近づけばだいたいそうなります。 例えばですけど、子供の頃は本当は漫画家や映画監督や小説家のような何らかの物語を作る人間になりたかったんです。子供の頃から美術家や絵描きになりたいと思う人の方が少数だと思いますよ。美術家になったのは、色んな理由はあったのでしょうけど、物語を作る才能がどうも無かったみたいで…。美大の在学中でも、まだジタバタと家で小説の習作のようなものを書いては失敗してみたいなことを繰り返していました。物語作者としたら、僕はもう30年以上スランプのどん底にずっと居るようなものです。

―  それは、物語をこれから生み出そうと思っているわけですね?

会田:うーん、物語が書けないから仕方なく絵を描いているところもあって。物語というと、今までも小説一冊と漫画の出来損ないみたいな『ミュータント花子』をやっただけです。

―  両作とも楽しく拝読させていただきました。

会田:結局、それも美術家がやった暇つぶしのようなものでしかないんです。
気が付いたら現代美術家になっていたという感じですが、よくよく自己分析してみれば自ら選んで現代美術家になった訳で。その大きな理由というのが、ビデオをやりたくなったらビデオを作ればいいし、立体を作りたくなったら立体をやればいいという、固定しないで色々と方法を選べるのが現代美術だったという、わりとゆるい理由です。

―  写真もやっていらっしゃいますよね?

会田:まあ、ええ(笑)。僕の写真なんて、あのー、なんといいますか、それ専門にやられている人がいるという遠慮も含めて、僕の写真は必ず意図的に全自動で撮ります…。
話は戻りますが、方法とか素材とか一番「いい加減」に何でも使えますよというのが今のところ現代美術というジャンルで、僕から言わせれば、いい加減なのが許される現代美術だからいいなと。スランプ知らずというか、スランプに本当は陥っているのに何となくごまかして回避できるという。


・馬鹿でいいのだ(後編)>>

更新日:2014年1月28日