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『教えて森山総長』その8

中山:なんか初歩的な、そんな質問ばかりなんですけど…

森山:いやいや、いい、いい。そういう質問じゃないとおかしいんだよ。

中山:自分で撮ってる時は、『こうやって撮ってやろう』とか思ってやってるんですけど、出来上がりを見ると、全然違ったりとかして、むしろそんな意識してない時に撮った写真が、出来上がりで見た時に、面白かったり、自分に合ってたりする時があるんですけど、その写真の持つ曖昧な所って、コントロールなんて出来ないものなんですけど、それをしようとしている事が馬鹿げてる事なのかなぁと。

森山:ただほら、自分が、撮る人が、相手に対する想いがあればね、やっぱりその想いてのは何かになるから。やっぱり写るから。俺ポートレートで好きなのは、中山岩太の『上海から来た女』ていうね、あれは好きだね。俺んとこの玄関にさ、こんなちっちゃいのに入れてあるんだけどさ。あれはいいよね。ムーディーで雰囲気あってさ。でああいう風に撮りたいって時々女の子を撮る時ああいう風にやるんだけど、全然ならんのだよ。

中山:なんですかね、そういうのは?

森山:やっぱ心がないんだよ。

中山:そういう事ですかぁ…

森山:街頭撮ってる時は、極端に言えば、表に居る人は、僕にとっては石ころみたいなもんだからさ。と言う風な感覚しかないから。だから『愛情を持って』とかが無いんだよね。宇多田ヒカル撮った時は苦労したもん。あんまりひどくしちゃマズいなと思ったからさ、普段使わない50ミリなんか持ってて撮ったり(笑)。まぁそんな事やってんだよ。

中山:ここらへん(ゴールデン街)で撮られたんですよね?

森山:うん、その辺でも撮ったし。

中山:京都のとある中古カメラ屋にその宇多田ヒカルのポスターが貼ってあって、

森山:ほんと?

中山:「頂戴」って貰ったんですけど(笑)。

森山:荒木さんだったら「写真は愛だ〜」とか言ってるからね、やっぱ愛があるんだよ。

中山:森山さんは90年代に、ヒステリックグラマーで何冊か出されてるじゃないですか。で僕はあの写真集が好きなんですけど、すごく(写真が)淡々としてると言うか、僕が勝手に思ってるんですけど、なんか愛もへったくれもなくって、ただ日常が並んでて、そこが怖く感じて、平凡さの怖さとか、あたり前に在る物が実は怖いんだと言う事を突き付けられたんですけど。だからそれはそれで「愛は無い」てのは写真になると凄い物が出てくるんだなぁと。

森山:まぁそれは、僕の掌握を越えて、やっぱり写真の写った物の、凄みと言うのか、ある意味で。まぁ丁度ね、僕がエモーショナルな、感情的な写真からなるべく離れたいと思ってた時期でもあったけどね。なるべく即物的に撮ろうという風に、思ってた事は思ってた。

中山:即物的に撮ると、写真は凄く暴力的になっちゃうんですかね?

森山:なるね。それはやっぱり、残酷なまでにそうなるよね、写真って。そう見えるから。つまり大袈裟に言えば『暴く』と言うことよね。『街を暴く』みたいなもので、別になんでもない所なんだけど、写る事によって暴かれると言うね。

中山:今と昔の頃の写真を取り巻く環境って、何か違いとかあるんですか?

森山:どうだろう…。まぁいろんなとこで、当然変わってると思うけど、ただ俺は自分の事しか考えてないから、あんまりそう言った見方とか感覚を持たないんだよね。だって今、例えば蜷川実花にしてもね、佐内正史にしてもさ、やっぱ面白いじゃない。僕なんかとは違うけどさ。考え方も違うし、見え方も違うかもしれないけど、やっぱ面白いじゃない。なんか『過剰』だしね、やってる事が。やっぱり物を創る人間てのはさ、ある種、さっき『病気』て言ったけど、病気てのはある意味、過剰さだから。何かに対するね。やっぱり蜷川実花の写真は過剰だよね。単純に色彩が過剰って意味だけじゃなくて、それを創っちゃう彼女自身が過剰な人間だよね。で、そう言うものを感じるから面白いって思うしさ。昔、そんな過剰な若い写真家って居たっけ?て思うと、今の方が色々居るよなって逆に思うよね。

中山:表現するには、やっぱり『過剰』とか、『病的』とか、そういった何かを持ってないとダメということでしょうか?

森山:と、僕は思うんだよね。それで我がままでさ。やっぱ表現なんて『我がまま』でなきゃやってられないじゃない。みんな『我がまま』をやってんだよね。その我がままが、リアリティーがあると、面白いって事になるわけよ。「あいつの我がままの仕方は面白い」て事だよね。やっぱりほら、文章にも書いたけど、やっぱり『自信』と、『過信』と、『妄信』とさ、みんな持ってないと駄目よね。みんなだって自分が一番だと思ってんだから(笑)。なんだかんだ言ったって自分が一番だと思ってんだよ。それが無かったら駄目よね。

梅村:今日も自分で「天才だ」て言ってましたよね?

森山:うん。言ったよ(笑)。それぐらい妄信なんだよね。そう言う妄信もないと。さっき言った、ある意味での自己演出、表現てのは自己演出だから。創ることも含めて。やっぱ自己演出てのはある意味でさ、『自信』『過信』『妄信』が無いとやってられないでしょ?正気では恥ずかしくて出来ないじゃない。でも恥ずかしくて出来ない事を平気でやるのは、物創る人間だよね、結局。

中山:そこに、見てる者も感動しますしね。

森山:うん。だから、『可笑しいなぁ』『変だなぁ』『何だかわからないけどコイツら変だぞ』って言うのがさ、やっぱ伝わるわけだよね。だから、中山君も、中馬君も、絶対さ、わけのわからん病気持ってると思うからさ、その病気を自分で育てて、外に持ち出さないと。まぁ普通でわかるような事やってても駄目だぞ。そんなもの腐るほどあるから。

(『教えて森山総長』その9に続く)

更新日:2010年4月7日