
森山:いやぁ…やっと来たぞっていう。つまりね、やっぱりニエプスをはじめとした、みなさん錬金術師であったり、科学者であるよね、基本的には。でも、やっぱり自分の家族とかさ、自分の恋人とか、自分のアイドルや環境風景など、それをやっぱり止めたい、残したいと、イメージの心の中だけではなくて、物理的に残したいっていうとこからはじまったわけじゃない写真は。やっぱその事は凄いなって思うのよね。だって、写真以前に、その写真術が発明される以前にも、写真的感性、写真的世界はずっと(人々の中に)あったわけだから。例えばどっかアルタミラの洞窟だとかさ、絵を描いてるじゃない、牛の絵みたいなさ。あれもやっぱり、残したいわけだよね。もちろん表現、描きたいって人が居て、そっから写真ははじまってるんだよね、実は。洞窟の中の悪戯書きか、ほんとに描いたのかは知らないけど、そこからずっと繋がって、そこで化学者が写真術を発明してきてるわけよ。やっぱその、目の前の光景をさ、一枚の『ブツ』に残すのってのは、やっぱり凄いよね。
中馬:そうですよね。自分でも写真を撮ってて、写るという原理は説明されたら解るんですけど、いまでもやっぱり今シャッターを押したらこれがそのまま写るっていうのは凄い不思議で。
森山:そうだよね。化学的に色々やったら写ったてんじゃないんだからさ。やっぱり、『止めたい』て人が居て、それでいろんな実験をした上でやっと写ったわけじゃない、サンルゥで。まぁ多少、僕の場合はロマンティックに考える部分はあるけど。でもやっぱり、あれは凄いよねと。だって24時間露光掛けてんだぜ?一日8時間の3日間やってんだからさ。だからやっぱり写真が、写真術が発明されて、世界がコピーされるようになってから、やっぱりもう一つの現実が生まれたわけじゃない。つまり、写真てのは写した物が、絶対現実でありうるわけないよね。目の前に映ってるのはとりあえず現実だろうけどさ、写したらそれは『写された現実』になるわけだから。それはもう、向こうの現実とは違うよね。その辺から写真のしたたかなさ、物が生まれてるわけよ。
中馬:サンルゥのニエプスの館ですよね、そこから、窓から撮られた写真があるんですけど、撮った瞬間にはどんな想いが湧きましたか?
森山:そんなねぇ(笑)、どうってことないんだよ、んなもんさ。『ここだよなぁ』『ちょっとあのニエプスのイメージに近づけようかな』ってね。撮ったのは24時間じゃないからね、1/250秒だからさ。そう言う感懐はあんまりない。ただやっぱりさ、心のふるさとみたいなのあるじゃない、写真のふるさとみたいな。そこに行った感じはあるよね。
中山:そこからはじまったって感じですか?
森山:うん、まぁだから、ちょっとロマンチックだけどね。だからこっから『おっさん写したんだよなぁ』って思うじゃない。
中山:はい(笑)
森山:何考えてたんだかなぁ、24時間もさぁ、よくやるよなぁ(笑)、という感じを見たいわけよね。感覚したいわけ。まぁそれと、やっぱり写真の魅力ってのはさ、どんなに時間が経っても、常に見る時間に蘇生するってことだよね。見る人によって、その人のたった今の現実とクロスしながら、リアリティが出てくるっての?だって昔の写真だからってただ懐かしいと見てるだけじゃないもんね。やっぱり、今見てる人の記憶や観念やらいろんな物が結びついて見てるよね。それっておそらく写真だけじゃないの?ピカソのさ、まぁピカソでも誰でもいいんだけど、どんな名画観たって、それはやっぱりピカソの名画だから感動はするけど、それから人によっての感動は違うけどさ、写真はもっと違うよね、観る人によって。
中馬:それだけ写真が、観る人に向かって開かれていくって言うか、一枚のペラペラな紙なんですけど、すごい無限の奥行きがあるということですね。
森山:だからほら僕がね、『写真は化石だ』て言い方するじゃない。そう言う事だよね。化石って見たら薄汚いじゃない博物館で見るとさ。でも物凄く生々しいよね、過去の時間とか、これから繋がってく時間、繋がった時間が化石だよね。写真も僕はそう言う意味では、やっぱり化石と似てると思う。ひからびた鉱物じゃなくて、生々しいもんだとね。という事は、それが写真だよね。
中山:考えたら物凄い装置ですよね。
森山:だと僕は思うよ。
中山:化石を、新しく量産していっているという。
森山:そうだよ。それは本人が、そう思うと思うまいがそうなんだよ。だから写真てのはさ、最終的には記録になる。て言うかアーカイヴ性を持つんだよね。それは撮った本人の意思と関わりなく、アーカイヴに成りうるわけでしょ。やっぱそれは凄いよね。
中山:そうですね、勝手に一人歩きしてるって言うか。自分の想いは撮った時にはあるんですけど。
森山:だから一枚の、どっか家庭の一枚の写真がさ、物凄くいい写真だなんていっぱいあるじゃない。そこらのカメラマンが撮ったのより遥にさ。生彩を帯びてるのって、いっぱいあるよね。それがやっぱり写真だと思うから。両方写真って事だよ。だから写真は基本的に、本質的な意味での無名性を持ってるとこが凄いと思う。ピカソの一枚じゃないんだよね。誰かの一枚なんだよ。それを見る事によって、またそれが誰かのなんかになるわけだしさ。
中山:人によって変わっていくんですよね。
森山:変わっていくよね。で、検証も実証もそれを見る事によって出来るけど、それだけじゃなくてね、記録としての機能だけじゃないものを持ってるわけだから。なんだ?写真論だ(笑)。人生論から写真論に変わっちゃったよ。次は一体何になるんだ(笑)。
(『教えて森山総長』その5に続く)