
それは人から「絵を描く人」と言われるようになった今でも変わらない。
(企画・文:キム ソジョン / 写真:穴田昌代 )
自分の感情が決壊したきっかけ

奈良:絵を描いていてROCKという言葉が登場するときというのは、自分なりのロックという音楽に対しての感謝の気持ちを表そうとしているんだと思う。音楽というのは、こちらが受け手で向こうからやってくるわけで、それに対して、「そうだ、そうだ!」って一緒にこぶしを振り上げたくなる時に、そういう言葉が出てくる。call & responseという感じなんだよね。
― ロックからどういうメッセージを受けるんですか?
奈良:何か言葉だけでは表せない衝動みたいなものがロックミュージックの音にはすごくあって、それが向こうでバアンとダムが決壊して、感情が洪水みたいに僕のほうへ押し寄せてくるんだよね。そこで、自分は流されるんではなくて、両足を踏ん張って立ちながら、「そうだ!そうだ!」っていう気分になる、そういう感じかなあ。
― やはりロックなしには、作品というのはないのでしょうか?
奈良:いやそんなことはないよ。ただ、導火線みたいなもので、きっかけとなることはよくある。だって、生まれたときからロックを聴いて育ったわけじゃないから。自分の感情みたいなものが、ロックミュージックとたまたまいい時期にシンクロして、いい物と出会えたのかなと思う。それは、音楽だけじゃなく、小説や美術にしても同じことがいえるよね。
― 具体的に言うといつごろの話ですか?
奈良:高校2年の時に、パンクの初期ものが出てきた頃で、それまでもロック自体は好きだったから、いろいろ聞いてたんだけど、ロックを聴いて感情が爆発するみたいなことはなかったんだよね。俺はまだ高校生だから、20代の人たちが聴いているような、恋愛とかがテーマのロックは、いいなあとは思うんだけど、なんかこうしっくりこなかった。たぶん、自分の身近で起こっている事と違ってたんだよね。それが、ラモーンズとかクラッシュというパンクのバンドが出てきたときに、いい意味で幼稚で、本当に日常で起こっているようなことが英語で歌われていて、17歳の自分にぴったりきた。それが最初のちゃんとした出会いだったと思う。それからは、今まで背伸びして聞いていたものを聞かなくなった。
― 今まで聞いていた大人っぽいロックにはなくて、ラモーンズとクラッシュにあったメッセージってどういうものだったんでしょうか?
奈良:ちょっとしたことで傷つきやすかったり、あまり深く考えずに思い切った行動をしちゃったりするような、これはもう世界共通の若者の日常だよね。背伸びをしていたら、止めたりできるものってあるじゃない?心の中で、これはもう少し我慢しようとか、泣いちゃいけないとか、言わずにおこうとかさ。なんかそういうことを発散させるものが、ラモーンズとクラッシュにはあった。
― パンクミュージックと出会って、奈良さんの中でも何かが決壊したんですね。
奈良:そう。今まで背伸びをして我慢していたのをやめて、泣いてしまったり、言ってしまったり、やってしまったりするようになった。これは後から思ったことなんだけど、やっぱりそれまでは、発散できない状況にあったんじゃないかなって思う。僕が生まれて育った頃ってちょうど、日本が高度成長期に入ったときで、これから猛勉強して、いい大学に入って、いい会社に就職してって、そういう感じだったから知らず知らずのうちにストレスになってたのかなと思う。
― 小説や映画の場合は、どんな作品に影響を受けたんでしょうか?
奈良:映画だったら『イージーライダー』や『ジョニーは戦場へ行った』なんか感動したよ。自由や平和がテーマのもの。小説だと、やっぱり『ライ麦畑でつかまえて』かな。
自分の中にある不確かな感情
― ロックに触発されずに作品を作る場合というのは、表現の源になっているものってあるんでしょうか?
奈良:それは、音楽とか文学とか映画とか、自分が見たり聞いたりしたものとはまったく関係なしに、もともと自分の中にある感情みたいなもの、なんだよね。言葉では表現できないんだけど、すごい不確かな感情で、泣きたいのか笑いたいのか、それとも怒りたいのかわからないような、でもなぜだか体が震えて、何かをしたくなっちゃうような、そういう感情がもともとあって、それをガソリンだとしたら、それに火をつけてくれるのが、音楽だったり、本だったり、誰かの一言だったりするわけ。
― そういう感情が常にあるんですか?
奈良:常に、というか一人でいると、そういう感情がどんどん出てくるのを感じる。
― それは、小さい頃からあるんですか?
奈良:そうだね。小さい頃って、意味もなく走りたくなったりとかあるじゃない?意味もなく木にしがみつきたくなったりとか。
― 今もあります。急に走りたくなったり。
奈良:なんかそういう衝動を形に変えてくれるのが、自分の場合は絵を描くことだなあって。
― それは小さい頃から自動的に絵をかくという風になったんですか?
奈良:いや、小さい時はただ本当に走ったりとか、この川はどこまで続いているのかなって思って川を下って行ったりとか、この道を歩いて行ったら東京にたどり着くのかなって歩いていったりとか。そういう、方向性がいっぱいありすぎて、何をやっていいか分からない、今から思うと意味がないように思えることばっかりで、だけど、それは全部意味があったことで、あの時に気持ちを閉じ込めて何もしていなかったら、ずっとその気持ちを持ち続けることはできなかったなあと思う。
― 気持ちを閉じ込めて、というのはどういうことでしょうか?
奈良:外に出たいけど、家を出てどこかへ行ったら家の人は心配するなとか、こんなことをしたらああいう風になるだろうなといって自分を抑え込んでいたら、もうその感情はどこかへ行ってしまっていたかもしれない。走りたいけど恥ずかしいからやめようとか、そういう意味のないことをやめてしまっていたら、そういう感情自体が自分の中にあることも忘れてしまっていたかもしれないなと思う。
― 現在も、子供の時と同じその気持ちがあるんですか?
奈良:今もある。今もね、恥ずかしい時がある。知っている人が来たら、かける音楽を変えたりとかするときあるもん。自分一人だったら心酔して聞いて、ガンガン絵を描くような曲でも、人が来るとなんだか恥ずかしくてやめちゃうこととかよくあるよ。(笑)
・不確かな感情(後編)>>