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奈良美智「不確かな感情」(後編)

先のことは何も考えていなかった学生時代。たまたま絵を描く学校に入り、自分の中なる衝動を形にする手段を得ることができて以来、自分の中に湧き続ける感情を絵という形にし続けてきた。
それは人から「絵を描く人」と言われるようになった今でも変わらない。
(企画・文:キム ソジョン / 写真:穴田昌代 )


先のことは何にも考えてなかった

― 昔は、成績が良かったとか?

奈良:いや、中学まではわりと勉強しなくても出来ていたというだけで、そのままいい高校へ行ったら、周りが勉強する子ばかりだから必然的に成績は下がっていった。それと高校に入った時に、進学校的なものが自分に合わないなとすごく感じた。高校の同窓会とかも一度も出たことないし。中学の友達は今もすごく大切なんだけど。高校の友達に聞くと、授業に来なかったり、いつも補導されてたりしてたと言われる。

― 補導されてたんですか?

奈良:補導といってもまあ、注意されるくらいなんだけど。学校さぼってぶらぶらしたり、映画館の中でたばこ吸ったり。でもそれくらいは、田舎だからさ、大人の仲間入りを早くするという感じで、不良とは言わないんだけどね。あと、中学の先輩とガレージを改造して喫茶店を作って、そこでDJとかをやったりしてた。

― 進学校の高校に入ると、その後のいわゆるいい人生が見えてきますよね。

奈良:中学の時の親友が、一緒にその学校へ行こうって言ってくれて受けたんだけど、彼は落ちてしまったんだよね。でも放課後になるとそいつと遊んでた。彼が行った学校は私立のけっこう悪い学校だったんだけど、音楽好きがいっぱいいて、音楽ですごくつながっていて、いいなあって。一方でぼくの高校は進学校だから、だんだん、大学どこ行くの?っていう風になっていくわけで、何をやっていいのかわからないから、とりあえず文学とかそういうのをやりたいなと思って、意味なく文系にしたりして。でも、その時は美術やろうなんて全然思ってなかった。

― 美術部とかにも入っていなかったんですか?

奈良:一応入ってたんだけど、1回しか行ってない。高校の時はラグビー部だったし。(笑)

― 全然毛色が違いますね。高校生の時は将来何になろうとかって考えたことなかったんですか?

奈良:そう。考えてなかった。今から考えるとそんな大人じゃなかったんだよね。今の中学生くらいの感じだったんじゃないかな。何も考えてないの。大学に必死で入ろうとかって思ったこともないし。

― 不安みたいなものはなかったんですか?

奈良:全くない。先のことは何にも考えてなかった。今のことしか考えてなくて、それは、つい最近までそうだったと思う。普通の人が将来のことを考える時期っていつなのか分からないんだけど、そういう将来の事を考えたのってつい最近だし。

― つい最近、ですか?

奈良:そう、日本に帰ってくるちょっと前だから、ここ10年くらいかなあ。34歳までドイツで学生やってたから、人より成長がすごく遅かったんだと思う。それからもう少しドイツに残って絵を描こうと思って。運が良かったから、学校終わってから3,4年くらいして展覧会とかできるようになって、一般的に画家と思われるようになった。だけど、結構スタートは遅いから、人よりも成長が遅かったんだろうと思う。


続けていくことが目標

― 普通、先が見えない若い頃というのは、不安で一杯で、特に今の若い人は先を考えて、守りに入っていく傾向があると思うんですが。

奈良:俺が思うのは、守りに入っているんではなく、与えられたものに従順だなと思う。たとえば音楽なんかでも、雷の音が必要な時、今はキーボードに雷の音がもうついていて、それを押したら雷の音が出ちゃうけど、昔の人は、その雷の音をどうにか出せないかと自分たちで工夫して考えてたんだと思う。写真のことはよくわからないけど、今はカメラなんかも、いろいろな機能が付いていて、その機能があるから、そういう写真が撮れちゃう。でも、昔だったら、自分のイメージに近づけるためにその機能を自分で工夫して作り出してたような気がする。

― 確かにそういうところがありますね。

奈良:与えられたものを組み合わせてなんか上手くすることはできるんだけど、何かを自分で作り出すことはできない。ゲームなんかも、みんなすごく上手にステージをこなしていけるけど、ゲームを作り出せる人ってほとんどいない。あまりにも受け手になりすぎているなあと思う。あと、音楽でいえば、楽器とかもお小遣いで簡単に手に入るから、安易に始めて、気軽に辞めていく気がする。昔予備校の先生をやっていた時に、生徒がフリーペーパーを出すから協力してって言われて、そういうのを聞くと、ずっと続いていくんだなと思って協力しても、3号くらい出したらすぐに終わっちゃうだよね。こっちは、ずっとやっていくと思っていたのに、向こうは全然そう思ってない。そういう所は最初理解できず、戸惑ったりした。

― 続けるといった時にどれくらい続けるのか、感覚が違ってきているのかもしれません。

奈良:今、日本で美大とか行ってる人たちを見ても、学生時代にきっかけをつかめなかったら平気でやめちゃう人も多い。

― 本当はやめなくてもいいような人でも?

奈良:そう。だから、目標が違うんじゃないかなって思う。続けていくことを目標にしているんではなくて、人から画家だとか写真家だと言われる事、あるいは、展覧会ができる地位を得る事を目標にしているのかなと思う。

― ドイツで学校を卒業した後も、発表しなくてはというような焦燥感に駆られることはなかったんですか?

奈良:それはまったくなくて、目的がどんどん生み出すこととかそういうことだったから、まだ発表したいとかって思わなかった。もちろん少しはあるよ。でもなんか声がかかったらやろう、という感じで、自分から作品をもって画廊を回ったりとかはしたことがない。絵を描く時間があって、場所があって、そういう状況に満足していた。今思えば、回らなくてよかったなとすごく思う。その時画廊を回って相手にされなかった人たちは、ほとんどやめてるから。

― 奈良さん自身は、デビューすることにあまり興味がなかったんでしょうか?

奈良:うん、そうだね。というか、そこまで考えが浮かばなかったんだよね。自分は、成長が遅かった分だけ、焦ることもなくのんびりと大人になったから本当に好きなことばかりやってこられたけど。


デビューしてからの10年間/40過ぎてバイトしながら絵を描いてたかも

― たとえば全然無名だったとしても、やっぱり音楽を聴いて、絵を描き続けていたでしょうか?

奈良:たぶんそうだろうね。でも、それが本当に続いていたら、どうなっていたんだろうって、ちょっとぞっとする。40過ぎてコンビニとかでバイトしながら絵を描いて、でもアイディアはいっぱいあるから絵はどんどん描けて、家の中には絵がいっぱいあるからそろそろ発表したいなとかって思い始めていたかと思うと、ちょっとそれでうまくいくかどうかわからないでしょう?

― そうですね。

奈良:運が良かったなとよく思うよ。

― アイディアがどんどん生まれて、という所がすごく大事で、難しい所だと思いますが。

奈良:たとえばミュージシャンになりたいと言っている若者を見ると、どんな音楽をやりたいとかではなくて、ミュージシャンになりたい、ということなんだよね。曲とかまだ全然なくて、曲を作りたい衝動もない。ステージに立ちたいという衝動だけがある。それはきっかけとしてはいいんだけど、そのきっかけの後に、自分の中の何かを伝えるためにもっと曲を作り続けたいという風にはなかなかならないんだよね。自分の場合、大義とかそういうものはなかったけれど、とにかく自分がどんどん湧き出して描けるものを描いていくぞという衝動だけはすごいあって、デビューはしてないけど曲だけは何千曲もある人、という感じだったのかもしれない。

― デビュー前から描きたいアイディアが止まらなかった。

奈良:シーナ&ロケッツの鮎川誠さんが言ってたんだけど、最近のデビューしてくる人たちは、アルバム1枚分の曲ができただけで簡単にデビューしてくるって。アルバム1枚分の曲があれば確かにデビューはできるんだけど、それで残れるアーティストはごくわずか。曲をたくさん持っていたら、2枚目のアルバムも出せるし、続けていける。あるいは、最初からアルバムを作る話が出る前から、曲をそれだけたくさん作れていたということはすごく好きだということなんだよね。だから、ファーストアルバムを出してからの10年間というのは、本当に自分がやりたいことが好きかどうかが試される時期だと言ってて、それは確かだなと今自分がよく思う。

― 今丁度10年くらいですよね。

奈良:そうだね。人からこの人は絵を描く人だと思われるようになって、ちょうど10年。試されていたなと思う。

― 有名になられてから悩むようになったことってありますか?

奈良:たいてい悩む時って自分がどうしたいのかで迷うんじゃなくて、こうやったら人からどう見られるかなとかどういう評価を受けるかなとか、そういうことで悩んでいるということに最近気がついたんだよね。だって、自分があの子のことが好きなのに、それだけでは悩まないよ。あの子が自分のことをどう思っているんだろうで悩む。

― 確かに。

奈良:絵が描けなくなるという時も、どうしたら人からよく見えるんだろうって考えてしまっていて、自分から見てどうよく見えるんだろうっていう風に考えてない時なんだよね。そうすると、作品の中に自分がいなくなっちゃって、コマーシャルを作る人と変わらなくなっちゃう。俺は別にみんなが喜んでいる顔を見たいわけじゃない。自分がいちばんびっくりしたいし、自分が喜びたい。悩む時はいつもそれを忘れている。社会的にどう見られるだろうかとか。そんなの気にしなきゃ悩むことじゃないのに。

― お話を伺って、社会的に何者かになるということだったり、人からどう見られるかということを気にしていったら、表現をする上で大切な何かが失われていってしまうということを感じました。

奈良:自分がこうしたいからこうする、というのがまずないとダメなんじゃないかって思う。人からどう思われているのかということに従順になりすぎたら、たぶんその人はニセモノになっていくんだと思う。(完)

更新日:2008年9月22日