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吉永マサユキ×奈良美智「ムダ道」(前編)

一見すると離れているように見える二人。ところが、その歩み方には、大きな共通点がある。
一人は好きなことをただ描き続け、一人は残していきたいことをただ撮り続けてきた。
そう“ただやり続けること”、それだけなのだ。
(企画・文:キム ソジョン / 写真:穴田昌代)


夢見がちな大人

― お二人には、実はいくつか共通点がありますよね。例えば、子どもの頃は結構成績よくて、いい高校に進んだとか、

吉永:僕はとりあえずちょっとだけ行ったんだけどね。

― また、若い頃に海外放浪をされていたり、媚を売らないという所も共通点かなと思いました。

奈良:一般的な社会性がちょっとない、というか・・・。

吉永:そうかもしれないですね。なんか大人になった気がしないというか、子どもの頃に思っていた“大人”になった気は全然ないですね。

奈良:うん。なんかこう、いろんな人と会うと、会う人がどんどん若くなっていくから、それで、ああ自分が年取ったんだなあと思ったりするけど、だからといって、昔、自分が思っていた社会人に自分がなったかといったら、全然違う。気分だけは成長していなくて、時々鏡を見ると、ぞっとする。(笑)

吉永:体が前みたいに思うように動かなくなったりね。ちょっと飲みすぎたら翌朝だるくてそれがなかなか抜けなかったり。それと、人の気持ちももっと考えるようになったり。

奈良:自分の事ばかり考えてきたけど、最近だと、階段登れないで途中で休んでいるお年寄りの気持ちもよくわかる(笑)。

吉永:うん、そうそう。昔だって考えられなかったわけではないねんけど、自分と速度が違う人がいたら、昔は「何で出来へんの、おまえ」って思ってたのが、その人なりの速度があんねんなあ、って思えるようになりましたよね。まあ、単なる夢見がちな大人、ということよね。

奈良:今となっては(笑)。

吉永:ピーターパン・シンドロームというのか、現実逃避というか。いや、現実は現実でわかってんねんけど、そっちの方に行けないだけで。無理でもこれをやっていきたいという感じなんです。たぶん、奈良さんにしても、無理じゃないっていうことがわかっているんですよね?

奈良:そうだね。もし今、40過ぎてバイトしながら絵を描き続けるっていう行為をしていたら、ひょっとしたら無理かもって思うかもしれないけど。

吉永:でも、今はそうでない状況にあるから、無理じゃないって思っているんですよね。僕も、やり続けていたら何か出来るんだって思っているから、夢見がちになっちゃっているのよね。もう今から堅実な方向には戻れないもんな。うどん屋とかやって堅実に生きろとか言われてもね。

奈良:うどん屋?

吉永:いや親父にね。まあ、自分の親としたら心配だからでしょうね、俺が店のお金出してやるから、うどんの修行かなんかしに行って、うどん屋でもやれって。そうすれば日銭も稼げてその上で写真とかやればいいじゃないかって。

― それって今、言われるんですか?

吉永:言われるよ。あんなに本とか出てても、言うよ。東京にはうまいうどん屋がないから、おまえうまいうどん屋を作れって。いや、そう言われてもな、とか思って。(笑)


いつの間にかこうなってた

奈良:でも、吉永さんは、写真を最初は本気では始めてないでしょう?

吉永:そうですね。

奈良:で、どこからどういう感じで後戻りできないくらい本気になっていったのかなあと。多分他のカメラマンになっている人って、最初っからなんか目標があると思うんだよね。でも吉永さんの場合は、そういう風にカメラマンになっていったようには見えないからさ。

吉永:僕はね、最初は、飯食う職業としてまず選んでるんです。僕の周りの友達って建築関係とか運送屋とか、中卒でも出来る仕事についていて、僕もそういう仕事をやってたわけです。水商売とか7年くらいやってましたし。でもパクられて中に入っているときに、俺はこのままじゃいかんな、という事を感じて、今までとは違う仕事をしようと決めたんです。写真は、ある人に写真をやってみたらと2年位しつこく薦められて、そんなに言ってくれるならやってみようかなと思ってやりだしたんです。だから、作家になるとかって全然考えたこともなくて、むしろそんな道楽商売で飯なんか食えるわけないって思ってたんで。

奈良:うん、なんかね、そういう最初から作家とかになろうと思ってなかった所が、自分と似ているかなと思ったことがあったんだよね。

吉永:そうですね。全然思ってなかったですもんね。写真の業界に入ってみたら、そこで悔しい出来事がいっぱいあって、このクソガキら、いつか見返してやるって思っているうちに、なんとなく不良を撮るようになっていったんですよね。それがだんだん認められだしてから、ひょっとしたら、不良とかを経験してきたのって、世の中から誤解されている部分を橋渡しするためなのかな、とかって思うようになって、今のように自分の作品を作るようになったんです。

奈良:俺の場合は、職業関係なくただ好きでやってきて、でも作家になるとかそういう事は全然考えていなかった。ただ好きでやってた。でもそのうちそれが認められるようになってきて、だからそこらへんは、その不良を撮っていったのが認められるようになったのと多分似ていて、そこで初めて周りが作家として見てくれるようになった。

吉永:そうそう、そういうことなんですよね。

奈良:ある意味、自分も本気じゃなかったけど、だからかといって簡単に辞められるかっていったら辞められなかった。後から考えてみると、やっぱり好きだったっていう事がわかる。他の事だったら簡単に辞めてたかもしれないし。好きだったという事に気がつくのも遅かったけど、逆に、遅く気がついてよかったと思う。

吉永:俺もだから辞めるに辞めれないんですよ。今までいろんなことをしてきてしまっているから、そんなに簡単に辞められない。自分の中である程度極めてからという風に思ってましたね。

奈良:で、冷静に考えると、実は結構外からも育てられたなと思う。そういうことがなかったらホントどうなっていたんだろうって。自分一人ではなれなかったなってよく思う。

吉永:そうですよね。


好きと嫌い

― やり続ける上で、好きかどうかという事がすごく大切だと思うんですが。
奈良:きっと、結構灯台下暗し的に、好きだっていう事に気がつかないことが多いんだと思う。俺だって絵を描くのが好きだって気づいたことがなかった。高校生になって大学どこ行くのみたいな話になった時に、何になりたいかなんて全く思い描けなかったけど、そういえば絵が好きだったという事をふと思い出して、美大だったら受験勉強とか結構ラクになるかなと思って、受験したんだよね。将来なりたい職業とか全く関係なく、ただ人より少ない努力で、比較的簡単に出来るかなと思ってただけで。

― 好きだなって思えたのは、いつだったんですか?

奈良:ずっと続けてこれたから、好きなんじゃないかなって今は思うけど、その時は思っていなかったな。

― 続けられる事っていうのは好きなことなんでしょうか?

吉永:好きか、嫌いか、よ。

― 嫌いだからやってしまう?

吉永:例えば、嫌いな人とかに会ったりすると、何で嫌いなんだろうって思うよね。嫌いと思う人は、大体相手も自分のことを嫌いと思っている場合が多いけど、それを考えることで、自分自身が見えてきたりする。

奈良:ああ、それ俺もある。俺の場合は、嫌いな人に会って、向こうも嫌ってるなと思うと逆に気持ちがよくなる。お前のやってることなんか、漫画だよって嫌いな人に言われるとすごいうれしくなってくる。逆に、嫌いだと思っている人に褒められたりなんかするともう止めてくれーって思う。お前なんか、ダメだと言ってほしかったのにって(笑)。

吉永:うんうん。やっぱり認めてもらいたかったりとかすんねんけど、おまえらにわかってもらってたまるかぁっていう気持ちもありますもんね。俺がやってきたこの事を、そんなに簡単にわかるなんて言ってくれるなって思う気持ちとかも。

・ムダ道(後編)>>

更新日:2008年9月29日