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石内都「もうひとつの横須賀ストーリー」(後編)


1つの決断

― 「絶唱・横須賀ストーリー」は、撮影とプリント期間を含めてどれくらいだったんですか?

石内:半年。私あんまり撮らないの。76年の秋から翌年の春まで。50本もないかな。

― 撮影とプリントは同時に進行されていたんですか?

石内:そうですね、撮ったらすぐに帰ってフィルム現像とプリントしてって。当時、私は会社に勤めていたから、土日に集中的にやっていました。

― えっ、会社員だったんですか?

石内:ま、ひどい会社員だったけどね。(笑)

― 木村伊兵衛賞を受賞されてから、仕事を辞められたんですか?

石内:いやいや、私40位まで勤めていたのよ(笑)。女で初めての受賞ということで、仕事の依頼は山ほどきたんだけど、写真で食べる気がなかったから。でも無下に断るのも悪いと思って、各出版社1回ずつはやろうって決めて、結構海外での撮影とかもやりましたよ。だけど、飛行機ではるばる遠くまで来て風景撮って、ちっとも楽しくないなあって、私じゃなくて他の人がやればいいじゃんって、思ってた。だから、1回だけやって、もう一切仕事はしないって宣言しちゃったの。

― 勇気ある決断ですよねえ。

石内:要は、向いてなかったのよ。頼まれて撮ることが全然できないの。写真の技術もなかったし。仕事の依頼が来た時に、向き不向きを私はきちんと見極められて、無理してやることはないなと思って今まできてるんです。余計なものを撮ると、自分の中にあるエネルギーが、どんどん自分の外側に飛んでいっちゃうような感じがするんだよね。そういうものは自分の写真のために、大切にとっておくほうがいいかもしれない。だから関係ない写真撮るのもったいないなって(笑)。


真面目なわがまま

― 仕事として頼まれるような写真と石内さんの写真は正反対という感じがします。

石内:そりゃ、そうよ。あんな真っ黒けで、何が写っているのかよくわからないような、わがままな写真だもの(笑)。

― 真っ黒な写真といえば、森山大道さんの写真も真っ黒だと思うんですが、当時意識はされていましたか?

石内:何となくは知っていたんだけど、あんまり見たことはなかったの。でも、グループ展に参加した時に、「森山大道の弟子ですか?」と聞かれることがあって、なるほどなあとは思ったけど、私は違うって思ってた。それで個展の時、森山さんに「あなたの弟子だって言われていますので、ぜひ見に来てください」って電話したんです。

― 直接電話されたんですか?

石内:そう。そうしたら森山さんいらしてくれましたよ。真っ黒なサングラスをして。 こんな黒い写真、あんな真っ黒なサングラスでは見えないじゃん、って思ったの。そうしたら、ちゃんとサングラスとって見てくれたの(笑)。いやあ、かっこよかったですよ。でもその「絶唱・横須賀ストーリー」を発表した個展では、もう誰も森山さんに似ているって言わなかった。

― すごい話ですね。こうしてお話を伺っていると、石内さんは自分の声をちゃんと聞くということに、すごく忠実なんですね。

石内:それをね、世間ではわがままっていうらしいのよ(笑)。私はすごい真面目に考えてきたらこうなったと思っているんだけど、まわりからはわがまま放題と思われちゃうのよ。女性で、一匹狼でやってきていると、なんかマイナスに思われることが多いかな。そして、縦にも横にも何のつながりも持っていないから、誰に何を言われることもなく、ますますわがままになってくるの。


私のひろしま

石内:私は本当に、自分のテーマしか写真は撮っていないの。でもそれを貫くと、今になってようやくいろんなことが向こう側から勝手に追いついてきているのよ。最近も、最初の頃一度だけ仕事をした出版社からの依頼で 、広島の写真を撮ってるんです。私の広島(笑)。

― 石内さんの「広島」?

石内:原爆死した人の遺品 を撮って、「ひろしま」という写真集を出すのよ。わがままな頼まれ仕事だわね。でも地下室で照明を使って撮ったので、ちょっと技術が必要だった。

― 普段は自然光で撮ることが多いんですよね?

石内:そうなの。照明を使った撮影は初めてで。ライトボックス(※1)に乗せて、ライティングして撮っていたんだけど感覚がよくわからなくて。ましてオートで撮っているわけだからね。
(※1)下から光を当ててフィルムを見たりする道具

― 本当にオートで写真を撮っていらっしゃるんですか?

石内:そう、全部オートで撮ってるんです(笑)。広島では、照明を使うから、一度 だけアシスタントをお願いしたんだけど、その子に、「石内さん、カメラの持ち方が変だ」って言われたりしてね。それで、NHKの土曜日の朝 という番組で自分が撮影している所を見たんだけど、やっぱりなんか持ち方が変なのよね。指が立ってるし(笑)。

― 私たちも学校では、持ち方教わりました。脇しめて……って(笑)。

石内:ねえ、私全然わかんなくて。

― 広島はやっぱりモノクロで撮られているんですか?

石内:撮影はモノクロとカラーの両方なんだけど、写真集は、全部カラーの写真にしたんです。なんで、カラーにしたかというと、やっぱり遺品を撮っているから、モノクロだけだと、重い印象になってしまうんだよね。私は、反戦平和の象徴としての広島じゃなくて、今の時間の広島を撮ろうと思ったの。そうするとやっぱり色がついているのが普通かなあと思ってね。

― カラーもご自身で焼かれるんですか?

石内:カラーは、モノクロプリントとは別の物ですよ。モノクロのプリントは、私にとって写真と思えないところがあるんですよ。全部自分でプリントしていくというのはモノ作りの基本だから。それに比べたらカラーは、これが写真だよなあという感じ。撮ったらおしまい。手離れがいいの。「同時プリント」に全部お任せ(笑)。展示 の時にはさすがに色の指示を出したりするけどね、普段は、近所の東急ジャンボー(※2)とかに出してるの。
(※2)東急グループのDPEのお店

― 東急ジャンボーもまさか石内さんが出しているなんて思いもよらないでしょうね。

石内:それが、最近気づいちゃったみたいで、いつものおばさんがなんか緊張しているの。

― そりゃあ緊張しますよ(笑)。


宇宙との交信結果

― 今年の一月にはニューヨークで個展をされていましたが、海外での展示も多いですよね。

石内:ニューヨークのAndrew Roth gallery でやったんだけど、30年近く前に展示したのと同じ「アパートメント」の写真を展示してるんです。実は最近、初期のプリントをビンテージプリントとして、いろんな国の人が買いに来るのよ。アメリカやヨーロッパではビンテージに対する考え方が違うんですよ。当時と同じ印画紙と薬品がないので、同じプリントはもう二度と作れないということで、ビンテージプリントという価値観がある。

― 宇宙に発表していたはずの作品を買いに来るんですね。

石内:そうそう(笑)。やっとどこかでつながったのね。私にしか撮れないものだけを撮っていこうってずっとやってきたからね。

― 今も当時のプリントを全部お持ちなんですか?

石内:そりゃ全部持ってますよ。あんなに思いを込めたプリントは絶対捨てられないですよ。それが意外と今もきれいでね。そのプリントを持って、3月はプラハに行くの。回顧展が始まるんだけど、プラハの街を着物で歩くのが楽しみね(笑)。

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更新日:2008年4月30日