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末井昭「くだらない大人になる方法」(前編)

キャバレーの宣伝、風俗の取材、エロ雑誌の編集、『写真時代』・・・様々な経歴を経て末井昭さんがたどりついた「くだらない事をくそ真面目にやり続ける」ということ。その言葉の真意とは?
(企画・文:キム ソジョン / 写真:穴田昌代)


風俗から学んだ真面目な姿勢

― 昨年の末井さんの授業で、編集部で改めて突き詰めてうかがいたかったのが、『くだらない事ほど真面目にやらないとつまらなくなる』という言葉についてなんです。

末井:真面目なテーマだったら、多少手を抜いても、真面目だからというだけで皆さんちゃんと見てくれたりするけれど、最初からくだらない事をやろうとすると、手を抜いたら本当にどうしようもないものになってしまいますからねえ、ハッハハ。

― 確かにその通りですね。

末井:二十歳の頃、キャバレーの宣伝課に勤めていて、ホステスさんの募集ポスターとか作っていたんですけど、ある時、新宿の大きな新店舗に、店内のディスプレーを頼まれたんですよ。ちょうど大阪の万国博覧会の頃で、お店のテーマも万博で、天井に万国旗をつけて、ボックスにアメリカ館とか日本館とか名前をつけて、「はい、アメリカ館どうぞ!」とお客さんを案内するというような催しをやってたんです。
お店の真ん中に太陽の塔みたいなシンボルが欲しいと言われて、僕は、即座に「キャバレーのシンボルといえば、おちんちんだ!」と思ったわけです。(笑)1週間かけて、それをベニヤで作って、亀頭の部分は発泡スチロールで彫刻して被せる感じにして、天井に届く位の巨大なのを作った。さらに蛍光カラーでピンクに塗って、

― 蛍光ピンクですか!?

末井:それをみんなで運び入れて、キャバレーの真ん中に置いたら、ブラックライト(※1)を浴びて、それが、暗闇の中に“どおん”と浮かび上がったんです。
(※1)ブラックライト:蛍光カラーのものが光るライト。ピンクサロンやクラブ、洞窟などで使われている。

― ...すごい迫力でしょうね。

末井:ものすごい真剣に作ったから、とてもリアルなものになってしまったんですよ。
マネージャーが見て、「これ、警察がくるんじゃないの?」と言うので、1週間もかけて作った作品に風呂敷をかけてしまったんです。それはとても残念だったんですが、その後、僕の作ったおちんちんに手を合わせると指名客が付く、という噂が広まって、お店に来るとホステスさん達がまずはそこに拝みに行く、と聞いてすごく感動しましたよ。

― 正にくだらない事ほど真面目にやる。

末井:くだらない事を真面目にやるっていうことは、風俗からたくさん教えられましたね。
ノーパン喫茶が流行ったころにも、普通のノーパン喫茶じゃなくて、マジックミラーにして、真下からそれをのぞく部屋をつくるために一生懸命夜中に地下室を掘っているお店がありましたね。警察に捕まらないように、女の子がはく“毛むくじゃらのパンツ”のようなものを考案してたんですけど、女の子が気持ち悪くてはかなかったんですね。(笑)結局そのお店、丸見えだからって警察につかまってしまったんですけど。

― すごい事考えますね。

末井: そう。陰毛のパンツを作ったり、地下室をせっせと掘っちゃったりするエネルギーとか、そういうくだらない事をくそ真面目にやることにすごく影響を受けましたね。1970年代終わり頃の風俗産業は、新風俗と呼ばれていて、本当に変わった店がいっぱいあったんですよ。
例えば、水槽の中を女の子が泳ぐ店とか、棺おけの中にお客が入って、女の子が小窓に裸でまたがるとか。下にも窓がちゃんとあって開くんです。

― 上にも下にも窓がある・・・

末井:手は出せないけど色々なサービスはしてくれるんです。なぜ棺おけなのかって思いますけどね。でも、当時、色々なお店を取材して、ばかばかしいけどすごく真面目な姿勢は本当に勉強になりました。


『写真時代』

― 編集の仕事を始められたのは?

末井:僕が初めて編集の仕事をしたのは27歳のときで、最初は『NEW SELF』というエロ雑誌でした。それから『ウィークエンドスーパー』という映画雑誌を作ったんですが、映画のページは3ページ位で、あとは風俗の取材とか好きな人に原稿を書いてもらったりとかしていました。結構いい加減な雑誌だったんですが、それでもまあ売れていました。
ぼくは、自費出版で出した初写真集『センチメンタルな旅』を見て以来、荒木経惟さんのファンで、『NEW SELF』の頃から原稿を頼んだりしてたんですが、写真というものを考えるようになったのは荒木さんがきっかけです。荒木さんは、すごく真面目で不真面目。語弊があるかもしれないけれど、荒木さんの写真はプロレスみたいなものなんです。プロレスは、八百長なんだけど、でも、リングの上でそれをやっていると本気になってしまうときも出てくる。そこの虚実が入り混じる所が面白いわけです。荒木さんの面白さっていうのは、プロレスにとても近いですね。
それに荒木さんは引き出しが多いんです。ヌードはもとより、少女もブツも風景も、みんな面白いんです。それで、荒木さんをメインに写真雑誌を作りたいなと思って、『写真時代』を作って、荒木さんの三大連載を組みました。一つの雑誌で一人が3つも連載するっていう事はあんまりないんじゃないでしょうか。

― 『写真時代』では、一般の写真雑誌が良しとしないものを載せた、とか。

末井:そうですね。当時の写真雑誌というのは、「写真になっている」とか「写真になっていない」というような言い方をよくしていました。写真論があって、言葉で何かその写真について説明できることが、「写真になる」という考えですか。 でも、それはつまらないなあと思ったんです。
だから、言葉にならないような得体の知れない写真とか馬鹿馬鹿しかったり、気持ち悪かったり、そういうのばかりを集めようと思ってましたね。

― その『写真時代』が爆発的に売れたわけですね。

末井:でもまあ、売れる原因はエロなんですけど、あの時代って何もないんですよ。つまり1980年代というのは、学生運動が盛り上がった後である種世の中がしらけてるわけです。学生運動の頃は、本当に日本が変わるんじゃないかという雰囲気があった。ぼくも少しそう思ってた。
ところがそれも警察にやられて、真面目に世の中を変えようとしても「どうせ権力にやられちゃうんだから」というしらけた感じが世の中全体にありました。だから、真面目にやるっていう事をみんな考えなかった。

― そういう時代に、くだらないことを真面目にやろうと思ったのが『写真時代』だったんですね。


水戸黄門で一番えらいのは印籠だ

末井:僕の友達の南伸坊さんなんかも、「面白ければ何でも良い」という「面白主義」を言っていましたよ。総合商社HAND-JOEというグループを南さん(※2)や上杉清文(※3)さんと作ってて、パフォーマンスなんかをやってましたが、そこでもくだらない事をたくさんやりました。
例えば、水戸黄門で一番えらいのは、印籠だからって、ベニヤで作った印籠の形の着ぐるみの中に人が入って、その印籠とともに、僕が水戸黄門、上杉さんが助さん、南さんが格さんで、いろんなところへ行く。雑誌の企画で、香港やインドまで行きましたね。
(※2)南伸坊:イラストライター。
(※3)上杉清文:劇作家。日蓮宗住職。


― インドまで?!

末井:水戸黄門の印籠の威力はアジアにおいてどこまで力が及んでいるか、実際に調査をしに行こうと。そのときは印籠の着ぐるみは同行しないで、水戸黄門の格好をして、小さい印籠を持って行きました。

― 威力は通じましたか?

末井:香港では、日本人が多いから恥ずかしかったですねえ。一応、そこら辺を歩いている人に、ぱっと印籠をだしてみると、「ははあ」とみんなやるから、ここは印籠の威力が及んでいると。インドでは、無茶苦茶な人がいっぱいいるから、水戸黄門の格好をしていても全然恥ずかしくない。
でも、水戸黄門の格好をしても誰も振り向いてくれないんです。ただ、印籠をパッとだしたら、ピャッと子どもが持っていっちゃって。印籠盗られちゃった。(笑)

― インドでは、印籠は盗られる、と。

末井:という具合にくだらないけれど、帽子をかぶって、杖をついて、きっちりと水戸黄門の格好をして手を抜いては駄目というのがあるんです。


歴史をむやみに歩く

― 非常にくだらなかったけど、面白くなったものというのはありますか?

末井:一番くだらなかったのは、『歴史をむやみに歩く』という企画ですね。これも上杉さんと南さんとやったんですが、歴史上の人物の扮装をして、あちこち行ってみるという企画です。水戸黄門の延長ですね。
例えば赤穂浪士四十七士の討ち入り事件だったら、赤穂浪士の格好をして、電話帳に載っていた吉良さんのお宅に勝手に行くというようなことをやるんです。(笑)

― 全然関係ない吉良さんの家に?

末井:はい。(笑)その企画の最後は、『金色夜叉』のお宮と寛一をやろうっていうことになりました。
ところが、貸衣装屋にお宮と寛一の衣装がなく、しょうがなく看護婦と熊のぬいぐるみを持って熱海に行ったんです。寛一がお宮を蹴っ飛ばす有名なシーンを、とりあえず上杉さんに看護婦を着せて、南さんに熊のぬいぐるみを着せてやったら、それが面白いんですよ。熊が看護婦を蹴っ飛ばすシーンができて、その意味はよく分からないけれども、そのいきさつを考えると面白かった。

― そういう話たくさん出てきそうですね。

末井:それでページが組めるんです。

― あのー、言いにくいんですが、くだらない事を真面目にやっていて、お金になるものはとても少ないんじゃないかと思うんですが。

末井:お金にならないとだめですよね。出費ばかりだとエネルギーが沸いてこないですよ。そういう意味では、70~80年代というのは、雑誌が何やっても売れた時代なので、良い時代だったんですね。
今は何をやっても売れないですよ。売れないから、すごく保守的に作ってしまって、なかなかくだらない事をやらないですよねえ。

― やっぱりくだらない事を真面目にやる続けるために必要なものは、お金ですか?

末井:お金と、あとはエネルギーですかね。くだらない事をやっていると、「何でこんなくだらない事をやっているんだろう」と自問して萎えちゃう、というのがあるんです。でも萎えたらだめですね。

― 萎えてしまう時は、どうやって気分を上げていくんですか?

末井:そりゃ、テンションを上げて、さらにくだらない事をするしかない(笑)。

くだらない大人になる方法 (後編)>>

更新日:2007年12月25日