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末井昭「くだらない大人になる方法」(後編)


“くだらない”を突き抜ける

末井:写真の話をすると、最近の写真が閉塞しているように感じるのは、くだらない事をやる人がいないからというのもあります。『写真時代』の「現地調達スペシャル」という連載があったんです。地方に出かけていって、女の子に声をかけてパンチラ写真を撮るという、非常にくだらないテーマだったんですけど、岩月尚君というカメラマンが一人で取材するんですが、すごく気が弱い人で、なかなか声をかけられなくて、そこからパンチラまで何とかするというその過程がすごく面白いわけですよ。苦悩している自分の写真を載せたりして、その真剣さが伝わってくる。ただ、パンチラの女の子の写真を見せれば読者は喜ぶ、というのではつまらないんです。
resistの中にも、くだらない事を真面目にやっている人がいましたよね? 酔っ払いを撮ったり、サラリーマンに刀を持たせたりしている人が。(※1)

(※1)


― はい。今も撮ってます。

末井:あれも、もうちょっと真剣にやるとほんと面白くなると思うんですよね。意味なんてないように思えるかもしれないけど、あれを続けると、もう少し面白くなると思います。

― もっと真剣に、というのは?

末井:もっといっぱい撮るとかですかね。とにかく「これしかないんだ」っていうくらいに思って、萎えないでやってほしいです。そうすると、くだらないテーマだけど、そこから突き抜けて、また違う面白さが出てくるんじゃないでしょうか。


スキャンダラスな写真とザワザワする写真

― 今の写真は閉塞しているという話ですが、授業の時にも、スキャンダラスな写真やザワザワする写真が少ないとおっしゃっていました。

末井:そうですね。みんな内向していて、「今日の私の気分を見て」という写真が多いんです。でも、そんな他人の気分なんて言われても分からないですよ。自意識が強すぎるんですよ。
表現者というのは自意識が強いものなんだろうけど、だからこそ余計に人が振り向いてくれるくらいの写真を提示しないと駄目だと思うんです。

― スキャンダラスな写真というのは、どういうものでしょうか?

末井:『写真時代』の時のテーマがスキャンダラスな写真だったんです。エロでスキャンダラスで、暴力的というようなものを『写真時代』では「強い写真」として捉えていました。

― スキャンダラスな写真は、ともすると作為的になりやすいと思うんですが・・・

末井:作為的であっても迫力があればいい。例えば荒木さんは、街の人達みんなを振り向かせて、ニコニコしている写真を撮ったりしていますが、あれはやっぱりすごいなと思いますよ。なかなかできませんよ。有名だという事を差し引いても、注意を引かせてみんなを笑わすくらいのエネルギーを与えるという所がすごいんですよね。
だから、ぼくは荒木さんの写真は、福音というか祝福の写真だという風に思っているんです。一人だけ喜んでいるんじゃなくてみんなが喜びを分かち合う、そういう祝福の写真なんですね。この前ちょっと荒木さんに言ったら、とても喜んでましたけど。

― いい言葉ですね。祝福の写真。

末井:一方、森山大道さんの写真は辻斬りみたいなもので、いきなり後ろからビャッと斬る。(笑)だから人間を撮っても物みたいになっちゃってそこが又面白いところですね。あと、森山さんの写真はじっと見ているとザワザワしてきますね。

― ザワザワするって何なんでしょうか。

末井:ブレボケの頃の森山さんの写真は、夜の写真が多くて、当時の学生運動の頃の何か騒いでいる感じがして、でも何が写っているのかはよく分からないけど、何かザワザワする感じがありました。そういうものはいいですよね。恋愛みたいな感じですよね、ザワザワは。

― ああ、恋愛と聞くと何となくわかります。

末井:いろいろな方法論の中で、写真が一番その人のことが出るような感じがします。それがザワザワ感につながるのかなあ。

― 今日のテーマでもある「くだらないこと」と「ザワザワすること」というのはシンクロしますか?

末井:くだらないことでも、やっぱり真剣さが伝わってくるとザワザワしますね。ものすごいくだらない事でも本当に命がけでやったりしていると感動しちゃうんじゃないですかね。


執念×10年

― 今のお話を聞いていて、先日発売された田附勝さんの『DECOTORA』という写真集を思い出しました。9年間デコトラを撮り続けてきたという所にまず“ぐっ”ときて、その写真を見ることで、その撮っている人の姿が写真を通して見えるような気がして、

末井:やっぱり執念ですよ。10年やれば感動しますよ。10年同じことをやるというのは何でも感動しちゃうんじゃないですかね。執念、半年や1年じゃあ駄目ですねえ。
森山さんも今はすごい有名になられて写真も売れているかもしれないけど、『写真時代』のお付き合いの頃は、貧乏、それも超貧乏ですよ。お金もない、食べるものもないような。だって、電車に乗っていて稲が実っているのをみて安心したっていうんだから。 つまり、豊作だと自分の所にも米が回ってくるって安心する位の貧乏。でも全然そんな素振りを見せない。達人ですよね。

― 森山さんは、写真家を志すなら仕事は辞めた方がいいとおっしゃってました。

末井:そうそう、だから、写真で大成というか、本当に自分で妥協がないものを作りたいと思っているのなら、他の仕事は辞めた方がいいですよ。そのくらい自分を追い込まないと。飯が食えなくなってもいいんですよ。森山さんにしても荒木さんにしても、本当に大変な時期もあって、でもそれでも辞めないでやっている、その覚悟みたいなものに、また感動しますね。写真でそういうことが自然と伝わってくると思うし。


不安がなかったらそれはつまらない

― やり続けていても自己満足で終わってしまうんじゃないかと時々不安になります。

末井:いいじゃないですか、自己満足。やり続ければ。

― 自己満足がスタートですからね。それでもそういう不安に襲われた事はありませんか?

末井:そりゃあ、しょっちゅうありますよ。文章書いているときとか。誰だってありますよ。みんな不安感を持ちながらやっているんだから。

― 前回の対談での森山さんや吉永さんと全く同じ言葉です!

末井:表現者というのは、それは伝わるかどうかという不安もあるし、やっぱりそれはみんな持っていると思いますよ。逆になかったらそれはつまらないですよ。

― 本当にその通りですね。

末井:まあ天才は別としてね。荒木さんみたいに自分で天才と言っていたら本当に天才になっちゃう人もいるしね。(笑)

― 『写真時代』の頃から“天才アラーキー”と言ってたんですか?

末井:「俺は天才だよ」って言ってましたからね。言えば本当になっちゃうかもしれない。とにかく、人にどう見られるかというのはあんまり考えないでやったらいいですよね。何がやりたいかという事は大事かもしれないけど。

― やり続けることが出来るテーマを見つけるには、何が必要でしょうか。
末井:やっぱり自分を信じる事ですかね。例えば、自分が一人の人を10年撮り続けようとか、ある世界を撮り続けようとか、何でもいいんですが、自分がその人やその世界に魅力を感じたりする事を信じた方がいいんじゃないですかね。そうでないとやっぱり途中で挫折してしまいますよ。
だから、まずは自分を一番信じて、それから後はくじけないで萎えないでやり続けるということですよね。時間が全てではないけれど、気持ちの凝縮度みたいなものが伝わるのが、やっぱり面白いんじゃないかなあ。どう見られるかという不安はあるだろうけど、物を作ると言うのはとても孤独な作業で、人に助けてもらえる事でもないから、孤独を耐えてやり続けないと駄目なんだなあ。


規制をはずして“バカ”になる

― 末井さんご自身のモチベーションを支えるものってありますか?

末井:ハマりやすいかもしれないですね。まあぼくの短い人生を振り返ると、一言で言うと“バカ”ですよね。何でも後から気がつくんですね。例えば最初工場に憧れた時も、入って初めて、「え!こんな所で働くの?これ地獄じゃないの?」って思ったし。

― 実際に工場に入るまで全然気がつかなかった?

末井:そう。入る前は工場に対して輝かしいイメージを持っていたんです。その後のキャバレーの宣伝課に入ったときも、キャバレーは自由で自己表現できる!と思っていたけど、実際には朝礼で歌は歌わされるし、「何これ、軍隊みたいじゃない」って。(笑)まあ、気がつくのが遅いというか。でも、だからこそ色々な体験が出来て面白いんですけど。
今の人は、ぼくとは逆にやる前から先に結論を出しちゃう人が多いんですよ。雑誌の編集者でも、「この人に頼んだら」と言っても、「いやあ、この人は書いてくれませんよ」と、自分の中で先に結論を出しちゃう。

― そうすると“バカ”であるということは、とても大事ですね。先を勝手に読んでしまったら、行動しなくなりますね。

末井:そう。自分でどんどん規制をしてしまわないで、とりあえず駄目でもいいから、会ってみたらって思いますよね。“でもそれはムダですよ”ってそういう姿勢は駄目ですね。駄目でもいいから会ってみたら、又何かそこで違うものが生まれるわけだし。

― resistでもまさにそれを一番に叩き込まれた気がします。

末井:いいことですよね。ぼくは若い頃は本当に人と話が出来なかったんですよ。内気というよりは、自意識が強すぎてね。あいつらと話してやるかっていう非常に傲慢なやつだったわけですよ。
だから、編集の仕事をする事は、ある意味特殊療法みたいな感じでした。人に会いに行くというのが苦手だったんだけど、気合を入れて、深呼吸して、話をしていると、段々こうやって話ができるようになってきた。

― 私たちも今日は、最初の蛍光ピンクのオブジェの話をしてくださって、緊張が一気にほぐれました。

末井:しょうがないですよ。物を作る人というのは、割と対人的なものが苦手という人が多いですよ。逆にだからこそ表現をやるんじゃないですか。世の中をうまく渡っていける人は、表現なんか必要ないですから。

― 本当にその通りですね。自分を信じて、執念の10年を送っていこうと改めて思いました。
今日はどうもありがとうございました。(完)

更新日:2008年1月8日