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吉永マサユキ×森山大道「今だからできること」 / 第3回 過剰な自信と過剰な不安


過剰な自信:欲望の源とは

― 「勝手なもの」とおっしゃっていましたが、「カメラ毎日」の山岸さんのところにその「勝手なもの」を持ち込みすることに不安はなかったのでしょうか。

森山:だって、本人はヒートしちゃって自信満々だから。

― 一同笑い

森山:もちろん内心どきどきはしているよ。でも他人から見たら、「何であの人自信があるの?」ってくらい自信ありそうな顔してるのよ。「カメラ毎日」に行く前は、無論やりたいことは写真しかなかったけど、仕事はないしさ、女房子供は一丁前にできちゃったしさ。何を撮ろうということさえ決まっていなかったんだけど、大いなる不安はなかったね。とにかく俺はやっていくぞって気分だけはいわれもなくあったから。不安の一方で、「過剰な自信」がないとやっていけないよ。

― その「過剰な自信」はどこから来るものなのでしょうか?

森山:そりゃあすべては自分の持っている欲望から出てくる盲信だよね。あとはこう言ってしまうと身も蓋もないけど、性格だよね。(笑)

吉永:(笑)まあ、きちんとやっているから、自信が出てくるでしょうね。

― 今お二人が持っていらっしゃる自信と、無名の頃の自信は質が違うと思うのですが…

森山:それはやっぱり違うよね。若い時って、ほとんどフィードバックしないしさ、経験によって生じる自信もあるから。でもやっぱり、その時々、自分の持っている欲望がすべてだよね。

吉永:年代積み重ねてきて、確実にこれがあるって思えて持てる自信もありますよね。僕の場合、最初から持っている自信というのもあるけれども、それよりも自分のケツを自分で拭けないような、他のカメラマンに対して「お前らみたいなカメラ小僧に負けてたまるか!」という気持ちのほうが強かった。

森山:僕の場合と一緒だと思う。単純に、欲求不満だったりコンプレックスだったりが、バネになっているわけでね。細江さんの助手になった頃、大久保のドヤ街に毎晩寝に行っていることがあったんだよね。意味もなくカメラ持ってその辺をうろうろしていると、アベックなんかが嫌がって、「あったまくる!」とか言われて。そういうのも、畜生ってばあっと撮っちゃうんだけどさ。(笑)くそったれ!と思ってさ。純粋にそういう悔しい思いって、やっぱり写しちゃうんだよ、カメラは。そういう現実的な悔しさみたいなものがやっぱりやっていく原動力になるよね。

吉永:他にも不良を名乗る事に対する不満もありましたね。業界には不良って名乗りたがる人が多いけど、実際には本当の不良なんて少ないわけ。でも、本当の不良は、俺だって地元の十三でポートレート撮影とかで、商店街の人を撮ろうと思っていると、「こいつは不良やから」って何度も警察を呼ばれたりする。たかだか数年の事で、それはもう、十字架背負ってる。だから、「元不良だというような事を軽々しく名乗られると頭にくる」、そういう気持ちは、当時無名の頃の気持ちの中では、常にあった。 今はもちろん、元不良って言われても、どうぞご自由にと思えるけど。

森山:やっぱりコンプレックスとか、不満って言うのはさ、ものすごいバネだからさ。そういうのを途中で失っていく人は、つまらなくなるよね。


過剰な不安

― 「不満」や「不安」が作品を撮り続けていく上でとても大事なんですね。

森山:そう。だから「過剰な自信と過剰な不安」、いつもてれこてれこ(※1)になっているわけだよ。
(※1)てれこてれこ: 物事を入れ違いにすること。もともとは歌舞伎で二つの異なる狂言に多少の関連を持たせて一幕おきに並べることで、それが転じてこのような意味になりました。

吉永:そうそう。

― 今と無名の頃と不満・不安の質は違いますか?

森山:それはやっぱり違うよね。新たに出てくる不満と、いつも持ち続けている不満とが、常に一緒にあるよね。ただ、常に検証しながら生きているわけじゃないから明確にはわらないし、わかってもどうってことないしね。まあ、それは違うよね、きっと。

吉永:不満っていうのはいつも同じ様なもので、若いときの不安っていうのはただ単に受けいれられなかったらどうしようというものだけど、今は違う。認めてくれる人もおんねんけど、もっと上を目指す上での不安もあれば、年をとって身体が思うように動かなくなるっていう不安もある。

― 不安の質が、全然違うんですね。

森山:全然ではないけれどね。まあ、不安の質にしても欲望の質にしても、日々全部違うわけじゃない。
吉永:ただ、若い頃の不安とか欲望というのは、先があるよね。若い頃の、闇雲に突っ走れる不安と今の不安とはやっぱり違う。若い頃は、自分の師匠とかの流れの仕事でなく、自分の写真でガツンと言わせて何とか形にしてきた。だから、闇雲にぶつかっていって、時には喧嘩のようになったりもしたし。でも、今はその当時のように突っ走ることはできない。森山さんとかリトルモアの社長だとか、いろんな人がいろんな心配をしてくれるからね。

― 作品作りについては、当時と今とで思い入れとか、違いはありますか?

吉永:作品もねえ、その当時みたいな気持ちではなかなかだね。もう少し、構えるからね。きちんと意味のあるものを、ちゃんと残していこうと思ってしまう。

森山:吉永さんは結構几帳面だからね。俺はその辺アバウトだから。(笑)いやいや、本当に。でも、当時と比べて経験とか、年令にも伴う多少の名前みたいなものもあるし、そういう部分では違うけれども、「よし、やろう!」って考えて繋いでいく時の気持ちは一緒だよ。今がベストというわけでは全然なくて、相変わらず不満とか不安は同じようにあるしね。若い頃とは在り様は違うけれどもさ。

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更新日:2007年6月16日