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吉永マサユキ×森山大道「今だからできること」 / 第2回 「森山病」と「吉永病」


普通に生活していこうとしたら無理

― 森山さんにとっての横須賀の街や、吉永さんにとっての暴走族というのが、その後のお二人の写真の方向性を決めていく、「鉱脈」だったと言えるわけですが、その「鉱脈」に当たる過程で支えになったものはありますか?たとえば、森山さんだったらカメラ毎日に絶対載せてやるという決意が「鉱脈」をになっていったわけですが、その決意を支えていたモチベーションの源というようなものは、何かありましたか?

森山:ぼくは、細江英公さんのところで3年アシスタントをした後、25歳でフリーになったんだよね。でも、いざフリーになっても、当然仕事なんてあるわけなくてさ、だけど、絶対俺は写真家だっていう気持ちは当然あるわけでね。で、なんかまあ、ずうっとモヤモヤとカメラ雑誌を見ていて、どう考えても「カメラ毎日」が一番元気がある。立木義浩とか、高梨豊が出てきたのは、全部「カメラ毎日」からだったんだから。

吉永:僕は、立木さんの「マイ・アメリカ」という文庫にもなった写真集を、高校のときにたまたま見て、すごい衝撃を受けた記憶がありますよ。

森山:そう、当時カメラ毎日っていうのは、とても先鋭的な雑誌だったんだよね。でも、そこで、一人で何十ページも載せている作品とかを見ても、「大した事ないじゃん、こいつら」って思って、内心悔しいんだよね。だってさ、こっちは失職してるんだから。何をしていいかもわからない。でも、自分が動かないと何も変わらないし、何も動かないっていうのはもちろんわかっているから。それで、よし、「カメラ毎日」に載せてやろうってさ。載せるためには山岸章二との出会いがないとだめだと思ったわけね。

― ワークショップの授業の時にも、写真家になりたいなら、まずは仕事なんかやめちゃう事だねということをおっしゃっていましたよね。

森山:まあ、それは極端な言い方だけど、でも、言っている意味はわかるだろう?

― 自分から何か動かないと何も始まらない状態に、自分を置く。

森山:そう、だからね、ぼくは、25で失職してから、ずっと、いわゆるフリーのカメラマンをやってきたんだよね。金銭的に不安定だったり、いろんな意味でめちゃくちゃキツいわけだけど、でもだからといって、写真を辞めるっていうことは全く考えなかった。言葉悪いけど人を騙してでも写真を続けようという思いがあるんだよね。実際、僕もずいぶん人にも迷惑をかけてやってきたんだけど、強い思い込みを一本持って、なりふり構わず挑戦し続けていくっていうことは、それはもう、至難の業なんだけどね。

― 写真家を目指している人は、フリーになった後に、お金を稼ぐ事に偏っていってしまって、自分の写真の「鉱脈」を見つけるという事との間で揺れ動くと思うんですが。

森山:いや、だからさ、普通に生活をしていこう、飯を食っていこうと思うならできないよ。それは無理だ。とくに僕みたいな街頭カメラマンはさ。

吉永:(笑)そうですよ。周りにも、営業うまくて、広告の仕事いっぱいして、お金儲けしているやつとかいっぱいいるよ。俺だって、お金稼ぎたいよね。でもさ、広告代理店とかに営業に行くと、頭下げて、代理店がほしい写真を何でも撮りますっていう媚びた態度をとってくれっていう感じなんだよね。俺は、自分の写真でしか勝負したくないから、俺の写真を見てくれとしか言われへんもん。

森山:それはなぜかというと、やっぱり病気なのよ。僕は僕で「森山病」を患っちゃっているし、吉永さんは、「吉永病」を患っているんです。

― 共通の病気じゃなくて、それぞれに、「森山病」と「吉永病」ですか?

森山:もちろん、そう。それがたまたま、写真というジャンルだったということ。だからさ、もともと病いを持っていない人に、病気になれっていっても無理だよ。だから、僕は、若い人が「広告代理店に行こうか、フリーでやっていこうか、どっちにしましょうか」って相談に来ると、必ず「代理店に行きなさい」って言うのね。つまり、相談に来る時点で、その人には病持ちの写真を作ることは向いていないと僕は思うから。

― その病気になっていると気づかれたのはいつですか?

森山:いやいや、そんなの気づかないよ。もう、写真を選択する前から、俺は「森山病」を患っちゃってるんだよ。

吉永:(笑)そうですねえ。俺の場合は、うまく媚びを売るとかができないんです。みんなに対して、普通にしてしまうんですよ。あなたに仕える吉永でもなく、こういう写真を撮ってる吉永として見てくれって思うからね。たとえば、いろんな人に写真を見せに行くときも、向こうが嫌おうがどうしようが、「どうですか、これ?」って。で、嫌いと言われても、「そうですか、ありがとう。」って言って、また同じ写真を見せに行く。「どうですか?これ好きになってもらえます?」って。同じ写真なのに。(笑)俺は、自分の写真でしか、落とし前をつけていく事ができないから。

森山:もう、それは完全に「吉永病」だよね。病気というと語弊があるかもしれないけど、自分の生きる気分というのがあって、吉永さんが言ってた様に、どうしても頭を下げてまでは出来ないっていう所が、僕にもある。物を作る人間の共通のかたぎというか、媚びたくないという所。

吉永:作ったもので認められたいですよね。

森山:その代わり、それを続けていくのは大変だよね。ナイフの刃の上を歩いているというか、サーカスの綱渡りやっているようなものだよ、本当に。

吉永:うん、そうそう。綱渡りしているんだけど、ただ下を見ていないからできるだけですよ。自分がどこに立っているかということを確認しようとしないし、確認しても仕方ないし。どうなるかわからないという不安を抱えつつ、まっすぐ前を見るしかない。

森山:まさしくそう。


認められてからも綱渡り

― 作品を認められる前の無名の間ってそういう綱渡りだと思うんですが…。

吉永:いや、認められても、綱渡りですよ。

森山:そう。むしろ、認められた後の方が、ある意味で綱渡りだよ。認められる前っていうのは、認められたいという圧倒的な思いが渦巻いているだけだからさ。

吉永:現在の森山さんでも、そういう不安な気持ちがあるんですか?

森山:そりゃあるよ。

吉永:俺らの世代からすると、森山さんくらいになると、そういう不安な気持ちがなくなるのかなって勝手に思っていたんですが、やっぱり、ずっとそういうフリーで仕事をすることの葛藤が続くんですね。

森山:そりゃもうフリーの宿命だよ。だってほら、はっきり言ってしまえば僕ら勝手なことをやっているわけだよ。でも、その勝手さがないと作品作りなんてできないんだよね。たとえば、大竹伸郎さんだってそうだよね。

吉永:そうですね(笑)。大竹さんは、もらい病ですからね。いらないのあるよ、って言われたら、「じゃあもらおうかな」ってもらっちゃって、それで作品を作っちゃう。自由の女神も、倒産したパチンコ屋からもらったって言ってましたよ。

森山:それはもう、はっきり大病でしょ?

― 一同笑い

森山:ある意味でね、大竹さんには、世界全体がコラージュやアッセンブルされるものとして映っているんだと思う。

吉永:宇和島に住んでいて、置く場所があるからっていう部分もあるんでしょうけど。

森山:いやいや、あの人は、置く場所がなくても吸い込んじゃう。そして吐き出す人。僕たちにしても、誰も頼んでいない事をやっているわけだから、当然それをやっていくには、綱渡りのようなことがあったりもするわけだよ。それは、時にものすごく勝手で傲慢な事もあるよね。その物を作る上での勝手さが、「森山病」であり、「吉永病」に通じるよね。やっぱりね、いろいろな意味で、どこか過剰な部分がないと、次から次へと物を作っていくというバネにはならないんだよ。

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更新日:2007年6月9日