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『教えて森山総長』その1

resist漢塾とは、resist一期生の中山学、中馬聰の両名が結成した取材ユニットです。自分達の行動力、実際の経験をもとにして、動きながら、こんがらがりながら、いい汗、時には冷や汗をかきつつ、取材をし、掴み取った事柄を元に、記事を作りたいという思いから生まれました。第一回はレジスト写真塾特別講師、我らが総長森山大道氏にご登場して頂きました。
※resist塾内では、特別講師森山大道氏は総長の称号がつけられてます。吉永マサユキ氏は吉永塾長となります。
(文:中馬聰 / 写真:中山学)


中山:僕らは一期生なんですけど、四期まで進んできて、森山さんが関わってこられた『resist』について、今どんな感じに思われてますか?

森山:(沈黙の後)いやつまりさ、resistのようなああ言うスタイルの、コミュニケーションの場所ていうのはさ、つまり吉永さんも写真家だし、俺も写真家だし、やっぱり何人かがそこに参加するか、どういう人が来るかはもちろんわかんないんだけど、もう何期になるか知らないけど、できればその中から一人でも二人でも、飛び抜けて出てくるような作家が出てくるといいなと。いわゆる教室、学校的な下でやってるわけじゃないから。お互いにどこか、ある種挑発関係の上で、ショートする中から、クロスする中からパッと誰か出てくるといいねと言うのが、僕と吉永さんの共通のね、うん。

中山:今まで、僕もワークショップの経験もあまりないのですけど、この写真塾っていうのは、写真を続けていく上での、精神面と言うか、精神論を吉永さんから教えてもらってる場でもあるんですけど、僕らは一期生ですが、塾生の半分ぐらいはまいっちゃって、写真を辞めちゃう人も居て、それぐらい追い込まれるようなresistにはハードな部分もあって、結構写真を撮る上での分岐点になる場でもあったりするんですよね。

森山:でも、僕は毎回、あなた達の時も言ったと思うけど、つまりさ、とてもプラクティカルな言い方だけど、つまり自分らが投資したお金は、自分らが回収しなきゃ駄目だよと言ってるじゃない。だから例え吉永さんが話してる事がさ、吉永さんが話した精神論という事で、エスケープするんだったら、もう最初から駄目ってことだよそれは。つまり、その程度の事はいくら吉永さんが吉永流のメッセージを言っても、それはそれで聞いて、逆にある時には聞き流したり、そうやって受ける方も柔軟じゃないと。だから受ける方がどんどんどんどん精神論だと思い込んで、精神論の講義みたいなのを聞きに行ってるみたいに心理的になってったらさ、そりゃその人が駄目なんだよ、悪いけど。聞くべきものは聞いて、自分とは関係ないと思う事は、ほっとけばいいんだからさ。だからやっぱりね、そう言ういろんなゲストも来るじゃない。で、それぞれみんな違う人だよね。性格も違うし表現のありようも違う。だけども、結局は一人の人間、一つの個性が来てるんだよね。だからその個性を、やっぱりこう(個性)から感電するっていうね。その人の言う事がすべて正しいわけでもないしさ、写真の事だけになるわけないんで。でもさ、やっぱり個性に感電するっていうさ、だって吉永さんがいろんな人を連れてくるってのはね、それは単純に精神論的なレッスンだけじゃないと思う。やっぱりその個性を『お前ら読め』という事だと思うし。だから辞めた人たちにはね、遠ざかった人たちには悪いけど、“それはあんたそこまでなんだよ。それぐらいの事でエスケープするようじゃ(笑)、今後どうせ無理よ”という事だね。やっぱり言い方悪いけど、自分に負けたっていうさ、言い方をせざるを得ないよね。

中山:そうですよね。

森山:吉永さんもまぁ、ああいう個性だしさ。グワァ〜っと言うからね。それはさ、中の人によっちゃビビる人もいるかもしれないけどさ(笑)。でもその辺でビビっちゃ駄目ですよ。だからresistとはどう見てるかって言うよりも、やっぱり僕は一人でも二人でも、resistから『あいつやっぱり出てきたよね』ってさ、『あいつやっぱり面白いよな』ていうのが出てくるのを期待してるよね。

中山:まぁそう僕も言わしたいという。

森山:だっていわゆるさ、レッスンプロがさ、なんかレッスンするような話じゃないから。

中馬:写真を撮る事に対して、考えすぎる人とかも出てきていて、でもそう言う事を考えずに、バンバン撮っていけばいいって言う風に、森山さんは言っておられると思いますが。

森山:うん、でもただね、もちろん原則はそうなんだよ。僕なんかもそう言いたいんだけども、でも考えてるヤツにそれを言ってもしょうがないんだよね。やっぱ考えたいのよ。自分がいてさ、逆に言えば途方に暮れてる自分がいてね。だから考えてりゃいいんだよ。でもさ、考えてて、写真が撮れるなら苦労しないけど、考えてる事が、いずれ写真の方に繋がっていかないと意味がないよね。それは考えてる事にならんから結局。ウジウジしてるっていうかさ。で、それで?

中馬:今回のインタビューは、『写真と肉体性』というテーマで企画をたてさせていただいてですね、そもそもはその森山さんの撮影風景を同行取材させていただこうと思ってたのですが、それはちょっとやめになりまして、インタビューだけの趣旨になったんですけども、その中でですね…

森山:つまりさ、こう言う事いじわるに言うけどさ、本当に僕が撮ってる肉体性を仮に見たかったらさ、俺の知らない所で着いてこなきゃ駄目よ。

二人:ああ

森山:だってさよくね、あの≒(ニアイコール)とかテレビとか録られるけどさ、そりゃやっぱりどこか意識してるしさ、別に撮るような所じゃなくても『そろそろ撮ってるとこ欲しいだろな』と思って撮ったりしてるとこもあるしさ(笑)。だからそういう所に肉体性なんか無いんだよ。もちろんそれだけじゃなくて、とっさに撮るときはあるよその中でも。でももしあなた達とやってもさ、撮るフリするだけだよ結局。だからやめようって言ったんだよ。

中馬:あまり意味が無いですね。

森山:そうだね、あんまりねぇ。まぁ絵的にはなんとなくさ。でももう絵的はいいだろ?君らは。テレビは絵的でやるしさ、みたいな事だよ。

中馬:その、今回のインタビューのテーマをたてる時にあたりまして、肉体性ともう一つ、写真のデジタル化につきましてお話をお伺いしたいと考えておりました。今、フィルムからデジタル化に写真が移行してまして、今のそのデジタル写真の売り出し方っていうのが、クリーンで無害な花の写真だとか、綺麗な空の色だとかを売りにしてますよね。そういう流れっていうのは、70年代に森山さんが『写真よさようなら』で、ずっと流れてきた写真のありようを、ブチ壊された時期と、今の時代が似ているなと、僕らは感じつつあるんですね。そのあたりにつきましていかがお考えでしょうか?

森山:いやでもだけどさ、そんなの昔からメーカーはそうなんだよ。メーカーは俺らの方を向いてないから。アマチュア大衆を見てるわけで。だから、『お花は綺麗に撮れます』と言い続けるわけだよね。それはもう昔から変わらない。時々こんな表現をしてるって写真家も居ますよと、時々僕らがフェイントみたいに使われるだけでさ。もうそんなのあたり前だよ。それは昔からそうだよね、メーカーは。

中馬:特に今は、写真をどんどん発表しているような雑誌とか媒体が減ってきてますよね。でも、その写真のメーカーと提携しているような、カメラを売る為の特集の写真の雑誌だったりとかが多くあったりするですけれども…

森山:だから、そのぉ…。うん、それで?

中山:その流れ、そういった風潮につきまして…

森山:でもさ、そんな流れは君らにも僕らにも関係ないでしょ?基本的にそいう所とはさ。それはそういう世界があって、カメラを売らなきゃいけない切実なメーカー側の事情があって、それに対応する、アマチュア大衆が居て。僕らはそれとは関係ない世界だろ?ある意味ではカメラを自分の表現の道具に使ってるだけだからさ。だからその辺の事は、もうどうでもいいんじゃない?そう言ったら、おしまいになっちゃうか。でもそうなんだよ。(笑)

※resist漢塾ではインタビューするにあたり、文献や資料にあたり、あらかじめ構成を決めることなく、その場の流れ、雰囲気を優先していこうという、悪くいえば行き当たりばったり、良くいえばライブ感を大切にしようという方針を立てました。しかしいくつかの質問やテーマは最小限取り決めてあり、そこから進めようと今回の取材にのぞみましたが、結果は用意していた質問はほとんど粉砕され、テーマも意味を成さなくなり、話しているより沈黙の時間が長くなるという有様…。このままではダメだ、と両名焦りつつ、立て直しをはかりました。

(『教えて森山総長』その2に続く)

更新日:2010年3月21日